我在日本太平洋战争研究会编纂的《太平洋战争的小知识》(具体书名忘记了)——日本文艺社出版里面看到的,按照日方的说法,这是南云舰队的“大失态”,两个月后中途岛海战的前版本。
& g7 u$ w- w9 m$ z2 v如果在网上的话,可以看http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3 ... 6%E6%B5%B7%E6%88%A6,对于这次“大失态”有着详尽的描述。
6 \: I. e7 b, n" R; E$ H$ E【9日、南雲機動部隊は再びセイロン島北部のツリンコマリーを空襲した。攻撃隊は飛行場と港湾を強襲し、迎撃機のほか飛行場の地上機、港湾施設を破壊したが、在泊の輸送船数十隻には攻撃がまわらず、「第二次攻撃の要あり」と打電した。しかし、攻撃隊の帰投中に「空母一、駆逐艦一、南下中」と発見の報告が知らされた。これは再び退避中のイギリス空母ハーミーズであった。山口多聞は「攻撃隊発進の要ありと認む」と赤城へ信号を送った。しかし、これは容れられず、兵装転換がなされ、第二次攻撃隊に用意されていた艦爆隊67機が出撃した。
/ D# H; w) V% O- v; Tこの間、イギリス空軍の爆撃機ウェリントン9機が南雲機動部隊を奇襲攻撃した。このとき日本側ではツリンコマリー攻撃から第一次攻撃隊が帰還しており、これもハーミーズ攻撃に向かわせるべく補給を行い、攻撃機に魚雷を積んでいる最中だった。イギリス空軍機は赤城を狙って編隊爆撃を行い、投下された爆弾は挟叉したものの命中しなかった。日本軍は直掩戦闘機隊により爆撃機5機を撃墜したが、対空砲火で戦闘機1機が撃墜された。】0 g, _- V+ y( N; i7 P
9 f, I& T5 I7 s" N, r' [5 P此外,学研社的《太平洋战史》也对这次海战作出了反省,http://sidenkai21.cocot.jp/m637.html
0 ~) f( l* F3 C【ともあれインド洋作戦は南雲の機動部隊に、いくつかの教訓を残した。その最大の課題は、爆装と雷装の転換作業時の、危険で無防備な時間の発生と、もう一つは敵の奇襲攻撃を許した監視態勢の問題である】
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0 ^* L% O5 J3 N5 g' O; g" _2 P; m* K这一次,需要进行“第二次空袭”的电文是渊田发的——当然,这也是原计划的一步。而第二波攻击的领队,是苍龙号上的江草。 |